仕事のこと・日常のこと・思うことをつらつらとかきつづる日記。
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Fri.08/22. 2008
今日は勝負事というものについて書いてみたいと思います。
私は常々、勝負に出るなら勝たなくてはいけないと思っています。
やることに意味があるとか、出場したことに意味がある、などという言葉は敗者の詭弁だと思っています。
人それぞれの価値観だとは思いますが、楽しむために勝負事に望むという人がいるのであれば、私の世界ではそれは娯楽です。
もちろんそういう姿勢で臨んでいても勝負の世界ですから勝者と敗者が生まれます。
えらそうなことを言っておりますが、もちろん私も、幼い頃から事の大小を問わずに考えれば数々の勝負事で何度も敗者の側に回ったと思います。
でも出場したことに意味があると思えるのは、勝つために最大限の努力をしたから意味があるのであって、
勝っても負けてもどちらでもいい、あるいはちょっと妥協をした、余力を残したというのであれば、それは出場した意味がありません。
今私はビジネスというフィールドで大きな勝負に出ようとしています。
それは自分の人生が左右されるかもしれない勝負です。
これに負ければ僕はご飯を食べる術を失うかもしれない。
だから必死で、大げさではなく本気で命を掛けて勝負をします。
そのための努力をします。
どんな職場であれ、その道のプロというのはそういう覚悟で勝負をするものだろうと思っています。
さて。
今日は野球のオリンピックの試合がありました。
残念ながら韓国に二度目の敗戦を喫し、決勝進出ならず、でした。
準備期間も本大会も死ぬ気でやってだめだったらそれは勝負の世界だから仕方のないことです。
しかし、もし余力を残していたとしたら?決勝に進むことを前提に戦っていたら?
目の前の一戦一戦にすべてを掛けて戦いを挑めないのであれば、勝者の資格は日本にはないですね。
その可能性が少しでもあるならとても残念です。
「総力戦や!」
指揮官の言葉がむなしいです。
本当に総力を決した結果だったのであればやむを得ずですが。
これは今回の大会を通して感じたことですが、ベストの采配をしたのか、かなり疑問です。
「総力」を使ったのか・・・。
おそらく坊主にした選手あたりは投げたくてうずうずしてたのではないでしょうか。
三試合連続完投したソフトボールの投手と比較してなんとなく、勝てない理由はそういうところにあるんじゃないかな、と思ってしまいました。
私も自分の仕事で妥協を許さないよう、勝負に出るときは全力で望もうと思います。
私は常々、勝負に出るなら勝たなくてはいけないと思っています。
やることに意味があるとか、出場したことに意味がある、などという言葉は敗者の詭弁だと思っています。
人それぞれの価値観だとは思いますが、楽しむために勝負事に望むという人がいるのであれば、私の世界ではそれは娯楽です。
もちろんそういう姿勢で臨んでいても勝負の世界ですから勝者と敗者が生まれます。
えらそうなことを言っておりますが、もちろん私も、幼い頃から事の大小を問わずに考えれば数々の勝負事で何度も敗者の側に回ったと思います。
でも出場したことに意味があると思えるのは、勝つために最大限の努力をしたから意味があるのであって、
勝っても負けてもどちらでもいい、あるいはちょっと妥協をした、余力を残したというのであれば、それは出場した意味がありません。
今私はビジネスというフィールドで大きな勝負に出ようとしています。
それは自分の人生が左右されるかもしれない勝負です。
これに負ければ僕はご飯を食べる術を失うかもしれない。
だから必死で、大げさではなく本気で命を掛けて勝負をします。
そのための努力をします。
どんな職場であれ、その道のプロというのはそういう覚悟で勝負をするものだろうと思っています。
さて。
今日は野球のオリンピックの試合がありました。
残念ながら韓国に二度目の敗戦を喫し、決勝進出ならず、でした。
準備期間も本大会も死ぬ気でやってだめだったらそれは勝負の世界だから仕方のないことです。
しかし、もし余力を残していたとしたら?決勝に進むことを前提に戦っていたら?
目の前の一戦一戦にすべてを掛けて戦いを挑めないのであれば、勝者の資格は日本にはないですね。
その可能性が少しでもあるならとても残念です。
「総力戦や!」
指揮官の言葉がむなしいです。
本当に総力を決した結果だったのであればやむを得ずですが。
これは今回の大会を通して感じたことですが、ベストの采配をしたのか、かなり疑問です。
「総力」を使ったのか・・・。
おそらく坊主にした選手あたりは投げたくてうずうずしてたのではないでしょうか。
三試合連続完投したソフトボールの投手と比較してなんとなく、勝てない理由はそういうところにあるんじゃないかな、と思ってしまいました。
私も自分の仕事で妥協を許さないよう、勝負に出るときは全力で望もうと思います。
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